私が『日本のワイン』を早川書房から出版したのは2003年で、調査に三年ほどかかっていますから、今から十年位前の話です。
その当時は日本のワイナリーについての情報が乏しく、どこにどんなワイナリーがあり、どこのワイナリーがどんなワインを出しているかということも正確にわからない状態でした。
今の「日本ワインを愛する会」の事務局長である遠藤誠さんや理事である石井もと子さん達にいろいろ調べてもらい、しかも一緒にワイナリーを廻ってもらったりして(私は車の運転が出来ないので)あの本を書き上げることが出来たのです。
それに比べて、今は全く情勢が変わり、多くのマスコミが日本のワインを取り上げるようになり、ワイン自体も全く面目を一新し実に優れた品質のものを出すようになっています。十年前の話が嘘のようで、僅か十年でこんなに変貌したのです。
私が1970年にアメリカへ行った時、ニューヨークのセントラル・ステーションにある有名な魚介料理のレストラン「オイスター・バー」では、出されるワインはほとんどヨーロッパのもので、アメリカのものはフィンガーレークのものが少し入っていただけでした。
その後十年経つとアメリカのものが半分近く近くなってカリフォルニアが入り、さらにその十年後になるとワインリストはほとんどアメリカのワインで占められるようになっています。
アメリカのワイン愛好家達が「バイ・アメリカン」でアメリカのワイナリーを元気づけたのです。
十数年前まで、日本のワイン愛好家が飲むのはヨーロッパのワイン(それもほとんどがフランスとドイツ)で、日本のワインは小馬鹿にして飲まなかったのです。告白しますと私もそうでした。
日本のワインを調べだした時、どこへ行っても「どうして、日本のワインは良くないのだろう?」という質問をしました。いくつかの著名なワイナリーのワイン醸造技師の方が、口を合わすように言われた言葉が忘れられません。
「いいワインを造っても、飲んでわかってくれる人がいないとやる気が起きない!」。『日本のワイン』の本の中で、「造り手はやる気を、消費者は関心を!」と呼びかけたのは、この言葉に衝撃を受けたからです。
そして、大塚謙一先生、辰巳琢郎さん、石井もと子さんと遠藤誠さんにお願いして「日本ワインを愛する会」を結成していただいたのです。今では会員が400名を越し、日本で無視されない存在になりました。多くの会員が利酒会に参加し、友人知人を誘ってワイナリーを訪問するようになりました。これがどれほどワインを造る人々を激励することになったかはかりしれません。
言うまでもなく、ワインはワイナリーの人達が造るものです。しかし造られたワインを飲む人々があって初めてワイン造りはビジネスとしてやっていけるのです。その意味で、ワイン造りは ―ことに優れたワインは―造り手と飲み手の共同作業なのです。両輪の柱です。
現在、グローバリゼーションの波が日本のワイン市場に押し寄せています。その厳しい世界情勢の中で日本ワインものんびりしていられる時代ではありません。日本ワインが健闘して欲しければ、今こそ消費者が一本でも多くの日本ワインを飲まなければならないのです。
「日本ワインを愛する会」の会員が一人でも多くの日本ワインを飲む人を増やすこと、そして多くの人々の関心と、温かい激励と厳しい批判をしなければなりません。
それは決して難しいことではなく、誰にでも出来る楽しい活動なのです。
2010年11月吉日
日本ワインを愛する会
会長 山本 博